フィリピンの現状と将来性

Philippines national flag
5年も比国にいるといい面も悪い面もかなり深く見えてくる。
そこで体験も交えて、今私が感じているフィリピンに関して書いてみようと思う。

フィリピン、教育の課題

比国に来てから最も仕事に差し支えるのが従業員の教育状況である。
各分野で困ったことを紹介しよう。

英語

たまに、日本人は英語を話せないけどフィリピン人は英語を100%話せます。
何故なら学校での教育は英語で行っているからです。
というように謳っているTV番組を見かけるが、それは半分本当で半分嘘である。
どういうことかというと、

なんでもいいから英語を話せる
という質問に対しては、本当であり

文法等や語彙の選択も含め流暢である
という質問に対しては、嘘である。

一概に全員がそうであるというわけではないが、
私がこれまでに接してきた大半のフィリピン人コミュニティは上に該当する。

それ故、通常の日常会話などでは大して気にならないが、
正確性を求められる文章や会話では困ることが多い。
彼らが作った文章を、そのままお客様に出せることはあまりない。
必ず当人が何を伝えたいのか、言葉を言い換えて確認し、
問題がないことを確認する必要がある。

私が最初に比国に上陸したのは英語の語学留学を目的としたものだか、
先生の英語は気にならなかったので、ちゃんと勉強している人もいるのは確かです。
⇢欧米向けのコールセンターで働く人などは、かなり流暢。
デルタ航空のフィリピン支店に電話した時が一番流暢でした。

数学

どういった学校教育をしているのだろうか。
高校の後、2年生のカレッジに行ったという人材でも三角関数を理解している人は稀である。
また、品質管理ではよく、工程能力を始めとした各指数を算出するが、
指数の意味や計算式を理解しているのは、一部の監査を受ける責任者のみである。

だいたい、街中に出ればお釣りの計算を間違えられることは誰でも経験することで、
大多数が暗算ができない。
ちょっとした計算でも携帯電話の計算機で計算して、確認して、それでも間違えので、
もうお釣りがないようにちょうど用意できなかったこちらに責任があると考えるようにするしかない。

私も計算式をすべて覚えているわけではないが、
その場でどうやったら解を導けるのか、どの数式を使うのかぐらいは覚えている。

学校でちゃんと学んで思い出せる人が日本人で、
思い出すものがないのが私の接する従業員。この差はかなり大きい。

科学

仕事柄、電気回路や空圧回路を扱ったりしているが、
応用ができる人はあまり多くないと感じる。
私もこの分野については、
現在の職に就いてから独自に取得してきたものであるが(先輩もいないので)、
まず声を大にして言いたいのは、
説明書読め!
である。主に日本メーカーの製品を導入しているが、
説明書には驚くほどたくさんの情報が詰まっている。
これを読み込めば、ほぼ7割はその機械を掌握できる。
各部品の選定根拠を明確にして設計していくのは基本であるが、
専門の人を雇っているわけではないので、一から作れる人は、ほぼ皆無である。
基本的には、オリジナルのコピー。私の作った治具がパクられていく様は、
なんともおかしな状況である。
私だっていいアイディアに相乗りしたいよ。させてくれよ。

社会性

わかってないことに対して、わかっていないと言える人材がかなり少ない。
そして、メモを取る人もほぼいない。
この2つが大変厄介である。

当人からすれば、サボっているのではなく、やりたくても出来ないという状態なのだが、当然こちらの認識としては、サボっているのである。

大体の人は複数のことを同時にやることはできず、
2つ以上の課題があると簡単なほうに流れていき、
そしてその簡単な課題もクリアできない。

社会人を始めた頃、ホウレンソウが重要と言われていたが、
当地でそれができる人はかなり優秀に見えてくるから不思議である。
*日本じゃ当たり前

そして、0から1を生み出す人がほぼ皆無であることも問題である。
提示されたトピックに対し、あれこれ議論することは好きな人が多いが、
なにもない状態で、新しいものを作れというと皆、黙る。

それなのに、私が作ったアイディアにケチをつける現地人上司もいて、
だったらお前が考えろ
と毎回いらつく。

日本にはない魅力・将来性

これはなんといっても、若さと消費力である。仕事場には私より若い人があふれている。
週末にショッピングモールに行けば、給料は日本人に比べずっと少ないかつ
売っているものの値段は日本と大して変わらないにも関わらず、
たくさんの人でにぎわっている。この将来を恐れない活気、
日本では味わえない感覚です。

特に私にとっては、この若さは魅力である。

先輩がたくさんいる日本の環境は、社会人になった後でも、
勉強にいい環境であることは間違いないと確信しているが、
なんでも自分でやらないければならない環境、そしてそれを自分より
若い人に伝えていく仕事は、なかなか日本ではできないのではないだろうか。

この若さは私にとっても魅力的であるし、個々のポテンシャルという意味でも
魅力的に映る。
しかし、前述のように教育水準が怪しいとせっかくのポテンシャルを活かせない。
そこがなんとももったいないところであり、やはり教育の重要性というところに帰結する。

好奇心を刺激する教育を

今はインターネットという便利な道具がある。検索するテクニックを覚えれば、
たくさんの情報が得られるし英語ができれば、フィリピンに限らすたくさんの国から
情報を収集することだって可能である。
そんな状況の中で大切なのは
「知りたい」
という欲求を生むことと欲求を満たしたという成功体験である。
この循環をうまく取り入れることができれば、あとは勝手に成長していくものである。
聞くところによると先生の教育水準も公立だとそれほど高くないようなので、
ここだけを重視した教育へと国を挙げて取り組んでいくことがいいと感じる。

最後に

私のフィリピンに対する今感じることをつらつらと書いてきたが、
仕事をするには、なかなか大変な国である。
商売は信用がとても大事であるが、フィリピン人と一緒に仕事をしていても
信用できる情報があまりなく、必ず確認し確証を得る必要がある。
作業は得意なので、仕事を細かく切り分けて作業にすれば、うまく活用できるが
本当になにも考えずに仕事をしている人が多いので、信頼性が必要なところは
自動化になっていくことだろう。
彼らの怠慢が作業の自動化を加速し、自分の首を絞めていることに気づいていないのは
とても残念である。
教育には時間がかかるので、まず次の10年は、今私が感じている状況のまま進むだろうと
見立てている。
しかし、市場が日々発達していく。次の10年、フィリピン人は仕事を失うのか、
好奇心を身につけて次の成長へとつなぐのか、見ものである。

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